戯作文

戯作とは、通俗小説などの読み物の総称で、戯れに書かれたものをいい、戯作の著者を戯作者という。 そこかしこに書き散らかしたり、細やかにしたためた駄文の置き土産を、ここに印す。

コロナエクストラ

ファーマータナカの迷酒珍酒カクテルエッセイ。
(内容は妄想と願望の産物であり、真偽の程は定かではありません。)

アンティグアの街角の窓に、飲みかけのコロナビールが置いてあった。
昨夜の孤独を肴に路上で飲んでいたものか、 宴に酔いしれて店を出た時に手にしていたものか、 ライムに問うてみても、答えは返ってこない。
 
🍺🍺🍺 コロナエクストラ(ビール)🍺🍺🍺
 
今でこそ、それこそありとあらゆる国のビールというビールが手軽に廉価に入手できる時代となったが、ファーマータナカの開業当時(1983年)は結構入手も大変であった。 又、一地方の田舎町では生ライムの入手も同様だった。
 
すべてが美味しいかどうかはひとまず置いておくとして、アメリカをはじめとして、ヨーロッパからアジアまでおまけにノンアルコールビール、そしてビアカクテルまで、世界の様々なビールを売りたいという相談に、酒屋さんは「どうせ売れるはずはない、最初だけお飾り的にそろえておけばいい。」と思ったに違いない。
 
日本のビールは確かに品質技術が洗練されており、文句なく旨いといってよいだろう。 しかし如何せん個性ということになると、店でビールの利き酒イベントもやったことがあるが、一部のプロを除き、ほとんどこれが当たらないときている。
又、ノンアルコールビールやビアカクテルも今では定着しているが、当時は「何でわざわざアルコール抜きのビール擬きを飲む必要があるのか?」、「何でビールに余計なものを混ぜるのか?」と首を傾げる向きもあったのだ。
 
日本では、缶ビールをそのままお店で提供することはもちろん、瓶ビールをそのまま直接飲んだり、あるいはビールをチェイサーにしてバーボンを飲んだり、ましてやライムを瓶にほおり込むなど言語道断と、後ろ指をさされる時代もあったのだ。
 
しかし、時間を問わず、味を楽しみ、デザインを楽しみ、飲み方を楽しんでくれるお客さんが集い、はるばるメキシコからやってきた、ライムをほおりこまれたコロナエクストラの瓶がキラリと光るの見た時、ファーマータナカの頭のバブルははじけていたのだった。
 
ビールは庶民の日常の飲み物だ。
缶や瓶を開ける音、最初の一口、その一瞬のためだけに、今日という日を僕らは生きてきたのだ。 泡や温度やグラスにとことん拘るのもありだが、ここは陽気な仲間と、カジュアルに、思い思いのスタイルで楽しみたい。
 
CHEERS!!
 

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