戯作文

戯作とは、通俗小説などの読み物の総称で、戯れに書かれたものをいい、戯作の著者を戯作者という。 そこかしこに書き散らかしたり、細やかにしたためた駄文の置き土産を、ここに印す。

九州一周無銭旅行記

北海道道中標津町の北端、地球が丸く見える開陽台の、その又奥のどん詰まりの山あいで牧場を営んでいた時、叉面積の91%が山林の大分県(旧)日田郡上津江村の山奥で農業を営んでいた時、仕事中にオンボロスバルレオーネ4WDやフォレスターに乗っていて、普段人っ子一人歩いていない幹線道路に時折バックパッカーを見かけると、場合によってはこちらから近づいていって、多くのヒッチハイカーを乗せたことが何度もある。

福岡に戻ってからも、市内を走行中拾った若者を、用も無いのにわざわざ広島県まで送っていった事もあり、叉これが若い女性旅行者だったりすると、変質者と見破られたのか、反対に断られたこともある。

中学時代の同級生にMという朋友がいて、こいつがそろそろ人生の後片付けと家の我楽多を整理していたら、1冊の古びたA5のノートが出てきたという。
それがこの、「九州一周無銭旅行記」だった。

ジャスト半世紀前の高校2年生の夏、お馬鹿トリオ(1人は後輩)は、お互い解消されるはずもない劣等生の虚しさを抱きしめて、無謀且つ無意味な九州一周ヒッチハイクの旅を思い立ったのだ。

旅とはある意味人間の本性が表出する場でもある。
この旅でも、未熟で我儘な若造の間で、様々な確執や軋轢があっただろうことは想像に難くないし、現に中途で後輩はリタイアしている。

お金は鹿児島市内でやむなく乗った市電の運賃20円を使っただけで、何とか九州一周を果たしたのはご立派と褒めてやってもいいが、驚くべきは、チャランポランと思っていた(今も思っている)M氏が、ヒッチハイクをした車の車種や台数や走行距離をはじめとして、お世話になった方々とのやりとりを克明に記録しており、帰ってからも礼状や年賀状のやりとりまでしている形跡があることだ。
今更ながら彼の人間性の一端に触れて、感慨深くもあり、感心もした次第だ。

ヒッチハイクの車は、なかなか止まってくれなかったと云えば止まってくれなかったし、よくぞ止まってくれたと云えば止まってくれたということになる。

ぜひあなたも、若き放浪者に愛の眼差しを向けて欲しいと思う。
 

f:id:farmert160:20170907101122j:plain