戯作文

戯作とは、通俗小説などの読み物の総称で、戯れに書かれたものをいい、戯作の著者を戯作者という。 そこかしこに書き散らかしたり、細やかにしたためた駄文の置き土産を、ここに印す。

新世界

いよいよ新世界地区の再開発(取り壊し)が始まった。
すぐ隣の高層マンションに続いての第2期工区ということらしい。
昭和の香りのする猥雑なカオス、路地裏の原風景がまた一つ消滅してゆく。

再開発といえば、特にバブルの頃、各地で立ち退きや区画整理に絡んで、地上げや放火等キナ臭い話が飛び交う時代があった。
当地も、ここ新世界地区や現在建設中の久留米シティプラザの一角(旧六角堂)等の再開発で、いくつかの事件があったようだ。

1983年から1997年まで健全な飲食店経営に打ち込んでいたファーマータナカは、清廉潔白な心情とは裏腹に、営業上特異な嗜好をお持ちのお客様ともお付き合いしなければいけない宿命を負っていた。

当時、いわゆるニューハーフが絶頂の頃で、何人かのお客様はなかなか一人では行きにくいのか、あるいは私の潜在的性向が透視できるのか、しつこくて強引なお誘いに、心は鬼なのだが、顔の方がだらしなくにやけてしまい、性懲りもなく小躍りしながらついて行く事があった。
店名も例えば「オシャレなイブたち」とか何とか、如何にも悩ましく、何故かめくるめく期待と血糖値が高まった。

魔法の水とはよく言ったもので、華やかなショータイムとどぎつい香水の香りの中で杯を重ねるとあら不思議、ニューハーフは女性に、不美人は極上美人に、好みでないは超タイプにと、確実に変身するのが世の習わしというものだ。

運命の出会い、名残尽きないドツボ、それでも何とか店を後にする(実際は追い出される)が、耳を劈くダンスミュージック、網膜にはレーザービームが飛び交い、頭の中ではミラーボールが超速回転、我に返るにはそれ相当の惰眠と会長(=連れ合い)の地獄の責苦が必要だ。

しかし今日の帰路は少し様子が違う、1980年後半、某月某日、時刻はam3:30頃か、左前方がほの赤く、パチパチと音が聞こえたのは、ショータイムのクライマックスではなかった。
なな何とアーケード街の一角が燃えているではないか。
路地を入ると既に夢心地酔っ払い親父の力でどうこうという状況ではなかった。
当時は携帯がまだなく、ファーマータナカはポケベルでの厳戒管理下に置かれていた。
明治通りを駆け抜け公衆電話から119番、素早く(?)現場へもんどり打って返すと、燃え盛る2階で男性が助けを求めているのを発見。
ここは止む無く飛び降りるよう合図、何とか飛び降りた男性の服を掴んで、ズルズルと安全なところまで引きずるのが精一杯だった。

サイレンの音、消防車の赤、降って湧く野次馬・・・、その後の記憶は例によって定かではないが、それでもその日の午後野次馬根性で再び焼け跡を覗きに行ったのは言うまでもない事だ。

数日後、自宅に数人の男が訪ねてくる。
「119番通報していただいた方ですね。」
「ちょっとお話を聞かせていただきたいのですが・・・。」
流石日本の警察、何で私が通報したこと、私の居所が解るのだ?
犯人は現場にもどるという。
又第一発見者が犯人というのも有りがちなストーリーだ。
警察は野次馬の写真も当然撮っていたと思われる。
発見通報のお礼ではなく、思うにこれは正しく取調べというものだったのだ。

辛うじて、善良な市民の誤認逮捕・冤罪は避けられた。

再開発も、進歩そして文明やもしれぬが、そろそろ守ったり残すことも又人間の務めかもしれない。
せめて日本中の再開発が、何とか穏便に進められることを願うばかりだ。
そして高齢者及びヘビードリンカーの早朝深夜の徘徊も、なるべく慎む生活を推奨する。
(2014/08/07記)

 

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