戯作文

戯作とは、通俗小説などの読み物の総称で、戯れに書かれたものをいい、戯作の著者を戯作者という。 なら、戯作者の書いた戯作は戯作文。 そこかしこに書き散らかしたり、細やかにしたためた駄文の置き土産を、ここに印す。

娘の誕生日によせて

今日は娘の誕生日だ。

FBをはじめ、SNSという素人衆には極めて危険な面もあるのだが反面便利なものが出まわって、本来なら断絶したやもしれぬ親子孫のコミュニケーションにも有用なツールとして重宝する時代となった。
そこで拙文を書いてみたが、娘のタイムラインにアップするのは迷惑かつ小っ恥ずかしいかとも思い、自分のところにアップすることとした。
娘のところにはリンクでも貼っておこう。

「あなたの周りには、あなたを気づかい支え声をかけてくれる多くの友人がおり、そのことが認知でき、感謝できるだけでもFBなるしろものの効用は余りある。
あなたの誕生日にあたり、ここにあなたとママとパパのちっぽけでありきたりな歴史の一端を記してあなたのこれからの人生のエールとしたい。

先日福岡から帰る西鉄電車の中で、隣にあなた達位の年恰好の親子が座った。
パパは本来自分自身が好きなだけで、子供は余り好きではない性格みたいだ。
今までのパパだったら、隣り合わせた不幸を恨み、本が読めなくて苛立っていただろう。
その子はそんなに悪い子ではなく、愚図り出して結局終始収まることはなかったが、その子の問いかけに丁寧に答え、ある時は優しく注意しお願いし、しっかりと抱きしめ直す母親を見て、母とは女性とは、何と強く気高い存在なのかと再認識した次第だ。
この時は、子供の方も言葉遣いもちゃんとしていて、キレた様子がないのが又素晴らしかった。
パパは、その母親の愛のお裾分けに、何となく暖かくて幸せな気分になっていたんだ。

何が言いたいかというと、子供を持ったあなたを見るようになって、あなたの、ママの、そして女性という性の強さと愛情深さに、遅きに失したが、今更ながらほんの少し気付いたということだ。

一方の親父の話になるが、パパ達の時代まで位は、一般的に多くの父親は仕事が全てであり、それが家族への愛の証だとの刷り込みがあった。 しかし今振り返るとただ自分がやりたいことを、ただ自分のために闇雲にやってただけと言えそうだ。
単なる我儘、得手勝手、自己合理化。

さて個人的な話に戻すと、特にあなたの子供の頃には進学も、就職も、結婚も、父親として、こうすべきだとの強制はおろか、的確なアドバイスさえもしていないと思う。 そっちを向いていなかった、あるいは向いてても言えなかったという解釈も成り立たないわけではない。
ママに言わせれば、家族のことはほったらかして好き放題の挙句、今頃になって父親面をしているにすぎないということらしい。

後付けでは何とでも言えるが、それでも、その時々に示せる色んな選択肢を出来るだけ与えること、たとえ間違った選択に見えても、その意思を出来るだけ尊重し、手助けすることだと思っていた。(ということにしたい)
そしてパパができることは、今までもこれからも、最終的にもしあなたが傷つき、打ちひしがれ、悲しみを抱える時があるとしたら、そっと抱きしめて一緒に涙を流すこと位だ。

若気の至りのパパの学生結婚、遊びたい盛りのパパ達は、あなたを寝かしつけて夜の海に遊びに行ったことがあった。
帰ってみると、玄関口までハイハイをして泣き崩れて眠っているあなたの姿があった。

早期の転職とという波乱の幕開けとその展開につき合わさせられることとなったあなたの人生は、やがて北海道へと向かうことになる。
開陽小学校までの往復10kmの山林の道程を通わせたが、自然の驚異や地域の苛めや孤独感の矢面に立ってあなたを守ってきたのはママだった。
中標津町の山奥から釧路までの100kmのアイスバーンの道路を、何度かスピンしながら時速100kmで疾走して買物や映画に何度も連れて行ってくれたのもママだった。

一方のパパは、これ又自分が行きたいだけの、聴いても解ろうはずがない屈斜路湖ジャズフェスティバルで、あなたを肩車していた程度だ。
それでも汗だくの通学時の姿や、仔牛と戯れる小さくて可愛いつなぎ姿のあなたは、今でもパパの目の奥に焼き付いている。

突然久留米に戻りお店をはじめると、あなたは大宰府の御祖母ちゃんに預けられた。 酔っ払い学生客は朝まで帰らず、あんな店がしたいこんな店をすると、酔っ払いマスターは仕事をしているつもりになっているだけの傍らで、徹夜明け一睡もしないで、あなたとの時間を持つために実家に向かったのもママだった。
小中高と学校と家庭で小さな胸を痛めた事もあっただろうが、その詳細をパパが知る由もない。(あとから少し聞いた)
そのうちのいくつかはママが盾となってくれたはずだ。

やがて、大学が静岡県清水市で、学部が海洋学部というのも、あなたらしい選択だった。
サーフィン漬けの大学生活で、ホントに真っ黒けで帰省する姿に眼を丸くしていたのもママだった。
一緒に旅行したナイルの川下りでは一家遭難しそうになり、サンディエゴではパパと二人で車で出かけて迷子になって、ホテルに残したママに心配をかけた(というより一人残されたママ自身が心配だった)。

パパの実家は貧乏だったが、(今は自分も貧乏だ)当時は時代がバブルだったせいもあり、辛うじて金銭的にはあまり不自由をかけなかったのがせめてもの誇りと救いだった。

例によってパパの突然の「農業をやる。」の気まぐれ宣言により、あなたは陸の孤島上津江村に行くこととなった。
相変わらず自分しか見ていない拡大志向のパパのために、経営や夫婦の確執に巻き込んで、随分苦労をかけてしまった。
上津江では、ある選挙のとき、「Mちゃんによう似とる女性が選挙に来とる。」との村のうわさ話が傑作だった。
母親に決まってるだろうちゅうーの。
あなたとママはお互いイヤかもしれないが背格好(&時々きつい性格)がよく似ている。
あなたとパパは出たがり屋だったから、ド田舎でもそれなりに認知されていたけど、ママはひたすら仕事と山中のひめ(犬)の散歩だけで表に出る人ではなかったから、認知度が低かったのだ。

又、あなたの田舎での結婚式は、酔っ払い親父軍団の単なる狂乱ド宴会、御返盃の雨嵐となり、ママ方の親戚はあきれ返っていた。

家庭を持ち、家を持ち、そして又新たな仕事にチャレンジし、大変なわりには休日の度に出歩き廻り、ママのLINEにはいいかげんに返事するあなたに、ママは閉口し、パパは微笑ましく思っている。

さて、あなたは自由だ。
誰のためではなくあなた自身のために(子供のためを含み、親父のためは?でよい)これからも前を向いて歩いて行くなと言っても行くだろう。
最後まで味方するのは、友達とママとパパだ。
出来るだけ応援したい。
お誕生日おめでとう。」
(2015年5月8日記)

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