戯作文

戯作とは、通俗小説などの読み物の総称で、戯れに書かれたものをいい、戯作の著者を戯作者という。 なら、戯作者の書いた戯作は戯作文。 そこかしこに書き散らかしたり、細やかにしたためた駄文の置き土産を、ここに印す。

酪農

ファーマータナカは牧童をしていたことがある。

北海道で酪農といえば格好良さげに聞こえるが果たしてその実態はということで、生と殺、性と死に日々直面し続けていた過酷な現場の断片を少し紹介しよう。
但し、多少生々しい話なので、上流階級の方、ご興味のない方はパスして下さい。


酪農といっても、牛の場合は、肉牛と搾乳牛がある。
ファーマータナカは、牛乳生産(北海道ではチーズ等の加工向けだ)だったから、飼養していたのは乳牛(搾乳牛)=白と黒のブチのホルスタインだ。
面積約100ha(よく言われる表現だとヤフオクドーム建築面積の約15倍だ)に、成牛150頭、育成牛70頭、山羊1頭程度で、その当時の北海道では、まあ大きい方だったと思う。

早速だが、乳牛は乳を搾る。
ミルクは本来子供を育てるために出るものだから、母牛は牝といえども当然出産後でないと乳は出ない。
通常出産後10ヶ月程度搾ることになる。
ということは、受精妊娠出産させないといけない。 先ず受精だが、通常受精は人工授精で行われる。

おっとその前に排卵だ。
牛の生理の周期は21日、出産2ヶ月後には、搾乳中で妊娠可能な牛の排卵時期を見つけてすぐ人工授精するため、1日2回牛の陰部を見て回り排卵適期を見定める作業は、殊の外重要だった。 
例えば高蛋白飼料等の原因により、当然多排卵・無排卵卵巣嚢腫等の生理不順や病気もある。呼ばれた人工授精師は肛門から手を入れて卵子の状況を確認し、健全な卵子で受精適期と判断すれば、凍結精液を注入、人工授精させる。
精液の方だが、安いものは当時で1本(回)500円、ピンは数万円するが、もちろん1回で必ず受精するわけでもないから、一種の賭けでもあった。
(賭け事は昔から好きだが如何せん弱い)


精子を提供する牡牛であるが、種牛という。
体重は1tを越える。高品質多乳量の遺伝子を持つエリート牛は、一見御殿での優雅な暮し振りだが、牝に見立てた擬似牛に乗っかって係員の手を借りながら、日々精液を採取されるのだけが仕事なので、これはこれで辛い人生(牛生?)かも。


さて搾乳だが、仔牛を育てるためなら1日数kgあれば足りるのに、強欲な人間は手練手管、牛を生きた搾乳機械へと改良してしまった。
乳量1回10~15kg(1日20~30kg)、年間乳量は約6000kgだが、1~2tのスーパーカウもいる。
年300日搾乳されるのも大変だが、不妊のままだとやがて乳は出なくなり、単なるタダ飯喰らいとなる。
歳を取ったのと合わせて老廃牛という。
乳量の400倍の血液を循環させて作ったミルクを、人間に搾り倒された挙句、残念だが出荷されて肉となる。
(病気で抗生物質を投与した牛は当時はペットフードになっていた)


一方出産だが、うまく受胎すると、年1産として年間75頭、5日に1頭生まれる計算だ。 予定日が近づくと夜も寝ずに見回りに行く。
早産・難産・逆子・死産・奇形もある。難産は前肢に鎖をつけて引っ張る助産もするが、生命の誕生は何度見ても荘厳で神秘だ。
牛は人間と違い、胎盤を通して抗体を移行できないので、初乳と呼ばれる搾りたてのミルクをなるべく早く飲ませて、免疫グロブリンを吸収させるのも重要な仕事だ。
しかし、5日経つと母牛のミルクは早速出荷に回されるので、仔牛は代用乳(粉ミルク)となる。初乳は組成が違い出荷できないで大量に余るので、初乳豆腐を作ったりする。けど余る。

 

その仔牛だが、血統の良い(乳量が多い)牝は後継牛として育てる。
牡はといえば、数週間を経て肉牛となるため出荷され、凡そ28ヶ月程肥育されて屠殺され、子牛肉としては18~20週飼育されてから屠殺される。
牝は搾乳機械になるため、牡は肉になるために生まれてくるというわけだ。
当時若い女性に育成牛を担当させていたが、我が子のように世話をした仔牛の出荷の度に彼女は涙を浮かべていた。


牛は大飯喰らいで青草で60kg、乾草で15kg、水も80kg程飲み、他に濃厚飼料と呼ばれる餌も食べる。
因果は巡りて排泄である。糞は50kg、尿は15kg、 BOD(生物的酸素要求量(Biological Oxygen Demand)換算で人間の100倍だ。
酪農は臭いといわれる。
実際臭い。
朝5時に牛舎に行ってまずする仕事はバーンクリーナー(Barn Cleaner:糞尿溝に排泄された糞尿と汚れた敷料を搬出する装置)を作動させらがらの糞尿掻きだ。
搾乳の最中も糞尿は降り注ぐ。
ツナギのポケットに何か入ってるなと触ってみたり、髪の毛が引っ掛かるなと思ったりするが、それらが牛の糞以外だったということなど到底有り得ない。


究極の格闘は堆肥処理だ。
搾乳作業と採草放牧の作業以外は、寝ても覚めても堆肥と対峙していた。
普通のトラクターとバケットでは間に合わず、ユンボで切り返しても切り返しても永遠にゴールは見えなかった。
それどころか、ずるずると深みにはまり撃沈、もっと大きい重機で引き揚げてもらったこともあった位だ。


牛にも、表情があり、性格もそれぞれ違い、無論名前もある。
優しく、何かを訴えるような眼差しは心を穏やかにしてくれる。
だからと言って、ベジタリアンになる決心もつかず、食する一口一口に深々と感謝の念を表すでもない。


食物連鎖の頂点に立った人間は、而して業(ごう)を持ち、命の生産と搾取を業(ぎょう)として、自分の命を紡いでいくのだ。

 

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