戯作文

戯作とは、通俗小説などの読み物の総称で、戯れに書かれたものをいい、戯作の著者を戯作者という。 そこかしこに書き散らかしたり、細やかにしたためた駄文の置き土産を、ここに印す。

新世界

いよいよ新世界地区の再開発(取り壊し)が始まった。
すぐ隣の高層マンションに続いての第2期工区ということらしい。
昭和の香りのする猥雑なカオス、路地裏の原風景がまた一つ消滅してゆく。

再開発といえば、特にバブルの頃、各地で立ち退きや区画整理に絡んで、地上げや放火等キナ臭い話が飛び交う時代があった。
当地も、ここ新世界地区や現在建設中の久留米シティプラザの一角(旧六角堂)等の再開発で、いくつかの事件があったようだ。

1983年から1997年まで健全な飲食店経営に打ち込んでいたファーマータナカは、清廉潔白な心情とは裏腹に、営業上特異な嗜好をお持ちのお客様ともお付き合いしなければいけない宿命を負っていた。

当時、いわゆるニューハーフが絶頂の頃で、何人かのお客様はなかなか一人では行きにくいのか、あるいは私の潜在的性向が透視できるのか、しつこくて強引なお誘いに、心は鬼なのだが、顔の方がだらしなくにやけてしまい、性懲りもなく小躍りしながらついて行く事があった。
店名も例えば「オシャレなイブたち」とか何とか、如何にも悩ましく、何故かめくるめく期待と血糖値が高まった。

魔法の水とはよく言ったもので、華やかなショータイムとどぎつい香水の香りの中で杯を重ねるとあら不思議、ニューハーフは女性に、不美人は極上美人に、好みでないは超タイプにと、確実に変身するのが世の習わしというものだ。

運命の出会い、名残尽きないドツボ、それでも何とか店を後にする(実際は追い出される)が、耳を劈くダンスミュージック、網膜にはレーザービームが飛び交い、頭の中ではミラーボールが超速回転、我に返るにはそれ相当の惰眠と会長(=連れ合い)の地獄の責苦が必要だ。

しかし今日の帰路は少し様子が違う、1980年後半、某月某日、時刻はam3:30頃か、左前方がほの赤く、パチパチと音が聞こえたのは、ショータイムのクライマックスではなかった。
なな何とアーケード街の一角が燃えているではないか。
路地を入ると既に夢心地酔っ払い親父の力でどうこうという状況ではなかった。
当時は携帯がまだなく、ファーマータナカはポケベルでの厳戒管理下に置かれていた。
明治通りを駆け抜け公衆電話から119番、素早く(?)現場へもんどり打って返すと、燃え盛る2階で男性が助けを求めているのを発見。
ここは止む無く飛び降りるよう合図、何とか飛び降りた男性の服を掴んで、ズルズルと安全なところまで引きずるのが精一杯だった。

サイレンの音、消防車の赤、降って湧く野次馬・・・、その後の記憶は例によって定かではないが、それでもその日の午後野次馬根性で再び焼け跡を覗きに行ったのは言うまでもない事だ。

数日後、自宅に数人の男が訪ねてくる。
「119番通報していただいた方ですね。」
「ちょっとお話を聞かせていただきたいのですが・・・。」
流石日本の警察、何で私が通報したこと、私の居所が解るのだ?
犯人は現場にもどるという。
又第一発見者が犯人というのも有りがちなストーリーだ。
警察は野次馬の写真も当然撮っていたと思われる。
発見通報のお礼ではなく、思うにこれは正しく取調べというものだったのだ。

辛うじて、善良な市民の誤認逮捕・冤罪は避けられた。

再開発も、進歩そして文明やもしれぬが、そろそろ守ったり残すことも又人間の務めかもしれない。
せめて日本中の再開発が、何とか穏便に進められることを願うばかりだ。
そして高齢者及びヘビードリンカーの早朝深夜の徘徊も、なるべく慎む生活を推奨する。
(2014/08/07記)

 

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ペルノー

ファーマータナカの迷酒珍酒カクテルストーリー
(登場する人物物語等は妄想と願望の産物であり、実在の物等とは一切関係ありません、たぶん)

恐ろしい酒があったものだ。

1915年にフランス政府が製造販売を全面禁止した、“幻の酒アブサン”のことである。当初は薬酒として飲まれていたという。
初心者には、とても飲める代物ではない。
歯磨き粉のようなミンティーな味わいだが、独特なアニス風味は、日本人の味覚の範疇には属さないものだ。
ところが、くせになるというか、この味の虜になってしまうのだ。

退廃的な雰囲気だった19世紀末以降、ピカソロートレックヘミングウェイ、モネ、ヴェルレーヌ等アブサニストと呼ばれた芸術家がたくさんいて、そのうちの何人かはアブサンを飲みすぎて死んだといわれる。

その訳は、ワームウッド(Woomwood)とよばれる、ニガヨモギに含まれる、ツヨンというという成分だ。
常飲すると、眩暈がして、神経がおかしくなる。
中毒性があり、催淫、幻覚、錯乱、躁鬱症状となり、挙句は狂気や自殺にかりたてられるという。

そのために製造禁止となり、その代用として作られたアニス酒の代表が、これである。

成分がアルコールに溶解しており、加水するとあら不思議、魅惑的なグリーンが水に溶けにくい成分の膜を作って乱反射し白濁するのは、まさに魔女の仕業のようだ。

一方で、このアブサン「緑の妖精」の異名も持つ。

🍺🍺🍺🍺🍺 ペルノー (リキュール) 🍺🍺🍺🍺🍺


ファーマーズ・バーは所謂オーセンチックなバーというより、カジュアルなレストラン&バーだ。
従って、お客の一方にマニアックなヘビードリンカーも存在するが、一方に会話や雰囲気を楽しむ若い男女も多い。
そしてありがたいことにお客様にはアッパーなクラスの ご子息もそこそこいて、大切な収入源でもあった。

S氏は、美形の顔立ちで、品がよく、素面の時は口数も少ない。
当然お金にもきれいで、ひとたびご相伴にあずかれば、ファーマータナカはご本人よりも飲んでしまう程だが、当のS氏は涼しい顔だ。

今日は暇かもしれない。
薄暮の時、閑散としたカウンターの片隅の椅子にはひとりの女性客が留っていた。
シンガポールスリングのトールグラスは汗をかき、チェリーヒーリングの赤は既に色褪せていた。
おあつらえむきのシチュエーションだ。

ここはショートカクテルか、マルガリータいやホワイトレディーあたりでどうかと、頭の中のカクテルレシピをめくり始める。

「マスター、向こうの彼女に良かったら何か一杯・・・。」
「えっ、いいんですか。」

それからは、 S氏が紳士的だがやや饒舌になり、ユーモアたっぷりの言葉が投げかけられるまで、左程時間は必要としない。
いつしかいい雰囲気の時間がゆったりと流れていく。

仕上げにペルノーの水割りをオーダーすると、そろそろ次の店に移るシグナルだ。
彼が女性をエスコートするそのバーは、とある住宅地の高層マンションの最上階にあり、会員制の秘密のバーというふれこみで、ファーマータナカも招待されたことはなく、どこにあるのか、どんなカクテルが供されるか、知るよしもない。

二人はカウンターを立つ。
ペルノーの独特の残り香だけが、けだるく漂っている。

・・・そのバーが彼の自宅だったと聞いたのは、随分あとになってからだ。
(2002.06.09記)

※ アブサンはファーマータナカが飲食業を引退した後2005年に凡そ1世紀を経て原産地スイスで再び解禁になった。
伝統的な味わい方はアブサンカクテル(グラスの上にアブサンスプーンを置き、その上の角砂糖に1滴ずつ水を垂らす)だ。

 

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行き倒れ

早朝から厭な予感、夜明けのショート・ストーリー。

ちょっと遠くの路上に物体、人類でないことを願うがいやどう見ても人が倒れている。
恐る恐る近づく。眼は閉じている。呼吸有り。
散歩中の脳障害、心臓発作、あとはあるあるアルコールか、ともかく何度か声をかける。

「どうされました?大丈夫ですか?」
「「¢£%ムニャ・・・。」
通りすがりの散歩中に声をかけ助けを求めるも完全無視、足早に立ち去る。
「誰か呼びましょうか?」
「#&□△◆いい■!?」
110番あるいは119番かと自問自答しつつ、
「お家は近くですか?」
「○▼※△そこ☆▲◎★●!?」
「車が通ると危ないですよ、立てますか?」
「l。0p;・-酒@:¥^「」屋台¥」

何とか起こして抱きかかえると頭や腕に傷有り、ここでほぼ近未来の自分と同属と断定。

ほんの20m程先の某マンション4F○号室まで珍問答を繰り返しつつご案内。
オートロックの玄関も部屋もご本人では鍵穴に鍵は入らず、ファーマータナカが代行。

別れ際、
「qぜひdrftgy一緒に飲もうJm8ういっぷ!!」
と言われたような感じがしたが、鄭重にお断りする。

明日は我が身、その節はよろしくお願いいたします。
(2014/07/01記 画像は事件現場の交差点)

 

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ハバナクラブ

ファーマータナカの世界の銘酒エッセイキューバ編。

🍸🍸🍸 ハバナクラブ7年(ラム) 🍸🍸🍸

キューバと言えばラム、ラムと言えばハバナクラブ、ということで、覗いてみる。
旅をして判る事は、己が歴史という代物に対して、全くといっていい程無知であるという事だ。
ファーマータナカはお酒のオールラウンドプレーヤーを自認しているが、日本酒を別格とすると、実はダーク&ヘビーなラムが大好物なのだ。
その味わい、その原料(糖蜜と呼ばれるサトウキビの絞り汁)、その庶民感覚、その陽気さ・・・。

一方で、そもそも何故原産地がスペイン語なのか?
何故豪華で荘厳でさえある歴史的建造物は西洋風なのか?
こんなにも人間をハッピーな気分にしてくれるラムはどうやって作られていたのか?

フレンドリーで陽気な人々の国民性の裏にあるもの、 それはとりも直さず、侵略、征服、奴隷、強制労働、プランテーション農業といったものであった。

例によってお目当だったヘミシンクウェイ所縁のもう一軒「ラ・ボテギータ・デル・メディオ」は、道路までファーマータナカを筆頭にミーハーな輩が殺到しており、ハバナクラブを使った砂糖抜き(ヘミシンクウェイレシピ)のダイキリやモヒート、そして偉大なキューバリブレを所望するための入店は、絶望的であった。

ヘミシンクウェイは2度死んだのか。
(2015/11/26記)

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新しく農業を志すあなたへ

ファーマータナカの新農業講座。

「新しく農業を志すあなたへ」

ファーマータナカは1997年大分県に新規就農者として入植し、農を営んだ経験を持つ。 今回は「アグレッシュおおいた」という大分県新規就農者の会のHPの体験談コーナーに寄稿の拙作を転掲するので、余計なお世話とソッポを向くかせめて反面教師としてほしい。

【プロローグ】
ファーマータナカは強運の持主だ。
その証拠にこれから列挙する事以外にはあと僅か100項目位しか失敗の記憶がない。
先人は成功より失敗から学べと教えている。
3日3晩居眠りしながら徹夜し、掻き集めた失敗談が、これから農業を志すあなたの道標となれば不幸中の幸いである。
(あくまでも新規就農を歓迎する趣旨なので、誤読無きようお願いしたい。)

【病害虫の章】
(防除)
ハウスから顔を引きつらせて(いつ引きつっていないのかと言われれば返答に困るが)帰ってきた会長(=妻)が、こう言う。
「ハウスのベッドの上で何か小さいものがいっぱい動いている。」と。
妻が達者なのはファーマータナカに悪態をつく口だけで、あとは私の欠点だけはよく見え、私の悪い噂だけがよく聞こえるに過ぎない。
だが無視すると後が怖いのでしぶしぶ現場に行くと、そこには夥しい数(おそらく全体では数万~)の1~2mm位のピンクがかった何かが蠢いていた。
正体はハモグリバエという害虫の幼虫が蛹になる前に、食害したトマトの葉から一斉に落下したものだった。
(教訓)「生きる事は戦いだ。他人はみな敵だ。」と昔読んだ石川達三の「青春の蹉跌」の冒頭にあったが、「農業は病害虫との戦いだ。他人はみな敵だ。」と言える。
こうなるまで放っておかないで、予防防除が鉄則だが、予防とは発生前にするものであり、既に大半の病害虫が発生してしまっている場合、もはや予防は出来ないのが農業の難しいところだ。

【田舎暮らしの章】
(お酒) 就農しで間もない1月2日(運悪く妻の誕生日でもあった)、新年の挨拶にと、地区の長老に誘われて、村長だ村会議員だと引っ張り回され、遂にアルコールの魔の手に海馬を襲われる羽目に。
それでも帰宅後ハウス管理に行くと家を出たがそのまま音信不通。
ハウスに通じる坂の下で頭から血を流して失神しているのが発見された。
ハウス管理どころか、自分自身が当分厳戒管理化に置かれる事となった。
(教訓)田舎では特に、酒によってコミュニケーションが図れるというが、実際何を話したかはもとより、次の日「あんた誰だったか?」ということも多い。
飲酒運転の取締が強化されてお断りする口実が出来た事がせめてもの救いである。
余談だが、記憶をなくすまでお酒を飲むなんて酒飲みの風上にも置けない。
ファーマータナカは(深酒をしなければ)記憶をなくすことなど有り得ない。
問題はついつい毎回深酒をしてしまうことだけだ。

【商いの章】
(市場価格) 就農当事、サラダ菜の最低価格はなんと1円であった。
安いというより、もはや「あんたの作った野菜なんていりません。」という意思表示であろう。
(教訓)できることと、売れることは違う。
ファーマータナカが自称イケメンであるのに、必ずしももてるわけではない、いやもてないかもしれない、絶対もてるはずがないということとよく似ている。
消費者のニーズというが、食料を輸入(自給率40%)しながら、自給率に匹敵する量を廃棄する日本国民(おっと、自分もそうだ)のニーズは計り知れない。
時々圃場での野菜の大量廃棄のニュースを見かけると思うが、なぜそうしなければならないか、身を持って体験することができる。

【災難の章1】
(火災) 1月10日(運悪く結婚記念日から4日後だった)午前4時半頃、昨夜の10時、夜中の2時に続いて薪ストーブの点検と薪の追加にハウスに向かうと、急に夜明けが早くなったのか、未来が拓けてきたのか、ハウス内がボーッと明るい。
だが現実は漆黒の闇に突き落とされる事件・・・ハウス火災であった。
農業への闘志を燃やさないで、ハウスを燃やした農業者が果たして何人いただろうか。ウン千万円の設備はまたたく間に、藻屑と化した。
(教訓)重油代高騰の煽りを受けて導入した、ハウス暖房用薪ストーブであったが、被害額は投資額の200倍となった。
費用に対して、効果が少ないどころかマイナスとなる非常に稀有な例である。
ただ費用対効果を突き詰めると、転職した方がよいという結論になる場合が多いので、農業を始めたり続けたい場合は計算間違いをする事が肝要である。

【災難の章2】
(車両事故) 夕方直売所からの帰り、急に冷え込んできた気配があり、又何となくブレーキの効きがわるいようなは感じはあったが、さほど気にせず走行していた。
比較的長い橋にかかった瞬間、軽トラは華麗にスリップ、反対車線に飛び出し慌てて急ハンドル(スリップ時の急ハンドルは危険だとちゃんと妻には教えている)、今度は左側の電柱に助手席が正面衝突して停車した。
車は廃車となったが、助手席に妻が同乗していなかったことが、せめてもの幸い中の不幸だ。(?)
又、別の日の早朝の県道で、物凄い衝撃で落石に激突、乗用車(運悪く妻の車を借りていた)は華麗にジャンプ、反対車線に飛び出し慌てて急ハンドル(ジャンプ後の急ハンドルは危険だとはまだ妻には教えていなかった)、今度は左側のガードレールに激突後たっぷりと左側をこすって停車した。
(教訓)農業者には車両は必須だ。
農協や直売所への出荷、又圃場があればトラクター等にも乗らねばならない。
特に中山間地の場合は、道路は狭く蛇行しており、高低差も大きい。
凍結、積雪、落石をはじめ、猪、狸、猿等選り取り見取りだ。
信じられない時間帯や場所で、村民(特に高齢者)に遭遇する事もあるので、走行には細心の注意以上のあきらめが必要だ。
できれば10km位の速度が望ましい。
反面「地区の境の短いトンネルを抜けると雪国だった。」と安易に文学者気分を味わえるメリットもある。

【天変地異の章1】
(台風) 2004年9月5日、台風18号により停電となり、山間部のため、復旧まで4日を要した。
養液栽培で、水分と肥料分はあるのだが養液を循環するポンプが回らず、結果的に酸欠となり全滅した。
回復を祈る無神論者の「苦しい時だけ神頼み」の奇跡はもちろん起こらなかった。
(教訓)近代的農法と言えば聞こえはいいが、日本の農業は完全な石油依存型で、基盤は脆弱だ。
電気も肥料も農薬も動力燃料費も石油なしでは成り立たない。
また自然の驚異の前にはたとえ堅牢なハウス、馬鹿高いだけの設備でも、ひとたまりもない事態となる。
奢れる者久しからずだ。
人間は自然を征服も支配も出来ない。
作物の種子の持つ能力の恩恵にかろうじて与る謙虚さが必要だ。
【天変地異の章2】
(台風その2) 別の日、明け方からの風雨の強まりに戦慄を覚えたファーマータナカは、ノコノコと葉菜栽培施設に付帯する作業用ハウスの点検に向かった。
ハウスに何とか辿り着いた瞬間、バタバタという強烈な振動と異常音がしたかと思うと、一挙にビニールは天空に吹っ飛び、ファーマータナカも宙に舞い上がらんばかりであった。
(教訓)台風の度に、屋根から落ちたり、川に流されてお亡くなりになる方がいるが、様子を見に言ったところで、台風の進路を変えることはできない。
運が悪ければ自分の進路が変わる事となる。
ファーマータナカが強運なのは、そばに川がなく、登る屋根が無かった事だ。

【エピローグ】
こうやってみてくると、ファーマータナカの農業は失敗てんこ盛りで、成功は何一つもないと思われるかもしれない。
(当たっているが、世の中には思ってもいいが、言ってはいけない事がある)
だが、そう思うあなたに次の文章を送ってこの稿を終える事としよう。

「自分のキャリアで、俺は9,000発のシュートを失敗し、ほぼ300試合が負け試合だった。26回ほど、決勝点のシュートをミスってる。そう考えると、人生で何度も何度も失敗しているんだ。だが、何度も失敗したからこそ俺は成功した。」
マイケル・ジョーダン

あなたそしてファーマータナカがいつの日かマイケル・ジョーダンになれる事を祈りつつ・・・。

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シャルトリューズ・ヴェール

【 ファーマータナカの迷酒珍酒カクテルストーリー 】
(登場する人物物語等は妄想と願望の産物であり、実在の人物等とは一切関係ありません、たぶん)

世界的には有名であり、ショットバーには定番として置いておかなければならないけど、実際にはなかなか飲んでもらえないお酒がある。
ヨーロッパではきっとこんなことはないはずなのに、 今日もひっそりとカウンターのバック棚であいつを待つ。

中世の錬金術の副産物として生まれた蒸留酒、その蒸留をする際に、薬草や香草類を添加したのがリュールの始まりといわれている。
100種類以上の薬草が配合されているが、このリキュール今も修道士が配合しており、そのレシピは秘伝、3人しか知らないという。
普通は食後酒としてストレートやオン・ザ・ロックなどで飲んでもらうが、度数も55°と高く、そこはこだわらなくてもよい。
繊細で甘美で一見ソフト感も合わせ持つが、刺激的な味ではある。

私は、リキュールの女王と呼ばれる。

🍸🍸🍸 シャルトリューズ・ヴェール(リキュール)🍸🍸🍸

F氏が、バーに現れると、覚悟を決めなければならない。
朝まで店を開けて酔い潰れてもらうか、 とっとと店を閉めて一緒に梯子酒を決め込むかの、どちらかだ。

風の噂では、若い頃東京に出て、美術学校に通ったり、新宿あたりの呑み屋でバイトをしてたという。
歳に似合わず、ルーブル等の世界遺産や或いは小津安二郎今村昌平を愛していたふうだが、決して権威主義者というわけではない。
議論好きで、天邪鬼で、大酔っ払いロマンチストである。

お天道様が高いうちは、お店のコンセプトとは裏腹に(一応アメリカンだ)、モレッティ(イタリアビール)を飲んだり、わざとリザーブサントリー)をオーダーしたりする。
だがシンデレラタイムを回ると、突然スピリッツの神々に憑依されるのか、重なる重なるハードな杯、とどめのつもりに「シャトリューズ」や「シャリュトルリューズ」(ん?)をオーダーするのである。
要するに呂律が回らないのである。
最早議論どころの騒ぎではない。

・・・今宵の選択は後者だ。
その日は数件のバーを追い出され、屋台を追い出され、24時間営業のファミレスのビールが打ち止めであった。

F氏は、自分の部屋へ向かう階段の途中で、あられもない姿で大いびきをかき、生ける屍(しかばね)になっていたとの目撃情報がある。
そのルートには、靴、衣類、財布、眼鏡、鍵が順次点在していたという。

私がその一日を棒に振ったのは言うまでもない。

リキュールの女王だけが、微笑んでいる。
(2002.02.11記を加筆修正)

 

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娘の誕生日によせて

今日は娘の誕生日だ。

FBをはじめ、SNSという素人衆には極めて危険な面もあるのだが反面便利なものが出まわって、本来なら断絶したやもしれぬ親子孫のコミュニケーションにも有用なツールとして重宝する時代となった。
そこで拙文を書いてみたが、娘のタイムラインにアップするのは迷惑かつ小っ恥ずかしいかとも思い、自分のところにアップすることとした。
娘のところにはリンクでも貼っておこう。

「あなたの周りには、あなたを気づかい支え声をかけてくれる多くの友人がおり、そのことが認知でき、感謝できるだけでもFBなるしろものの効用は余りある。
あなたの誕生日にあたり、ここにあなたとママとパパのちっぽけでありきたりな歴史の一端を記してあなたのこれからの人生のエールとしたい。

先日福岡から帰る西鉄電車の中で、隣にあなた達位の年恰好の親子が座った。
パパは本来自分自身が好きなだけで、子供は余り好きではない性格みたいだ。
今までのパパだったら、隣り合わせた不幸を恨み、本が読めなくて苛立っていただろう。
その子はそんなに悪い子ではなく、愚図り出して結局終始収まることはなかったが、その子の問いかけに丁寧に答え、ある時は優しく注意しお願いし、しっかりと抱きしめ直す母親を見て、母とは女性とは、何と強く気高い存在なのかと再認識した次第だ。
この時は、子供の方も言葉遣いもちゃんとしていて、キレた様子がないのが又素晴らしかった。
パパは、その母親の愛のお裾分けに、何となく暖かくて幸せな気分になっていたんだ。

何が言いたいかというと、子供を持ったあなたを見るようになって、あなたの、ママの、そして女性という性の強さと愛情深さに、遅きに失したが、今更ながらほんの少し気付いたということだ。

一方の親父の話になるが、パパ達の時代まで位は、一般的に多くの父親は仕事が全てであり、それが家族への愛の証だとの刷り込みがあった。 しかし今振り返るとただ自分がやりたいことを、ただ自分のために闇雲にやってただけと言えそうだ。
単なる我儘、得手勝手、自己合理化。

さて個人的な話に戻すと、特にあなたの子供の頃には進学も、就職も、結婚も、父親として、こうすべきだとの強制はおろか、的確なアドバイスさえもしていないと思う。 そっちを向いていなかった、あるいは向いてても言えなかったという解釈も成り立たないわけではない。
ママに言わせれば、家族のことはほったらかして好き放題の挙句、今頃になって父親面をしているにすぎないということらしい。

後付けでは何とでも言えるが、それでも、その時々に示せる色んな選択肢を出来るだけ与えること、たとえ間違った選択に見えても、その意思を出来るだけ尊重し、手助けすることだと思っていた。(ということにしたい)
そしてパパができることは、今までもこれからも、最終的にもしあなたが傷つき、打ちひしがれ、悲しみを抱える時があるとしたら、そっと抱きしめて一緒に涙を流すこと位だ。

若気の至りのパパの学生結婚、遊びたい盛りのパパ達は、あなたを寝かしつけて夜の海に遊びに行ったことがあった。
帰ってみると、玄関口までハイハイをして泣き崩れて眠っているあなたの姿があった。

早期の転職とという波乱の幕開けとその展開につき合わさせられることとなったあなたの人生は、やがて北海道へと向かうことになる。
開陽小学校までの往復10kmの山林の道程を通わせたが、自然の驚異や地域の苛めや孤独感の矢面に立ってあなたを守ってきたのはママだった。
中標津町の山奥から釧路までの100kmのアイスバーンの道路を、何度かスピンしながら時速100kmで疾走して買物や映画に何度も連れて行ってくれたのもママだった。

一方のパパは、これ又自分が行きたいだけの、聴いても解ろうはずがない屈斜路湖ジャズフェスティバルで、あなたを肩車していた程度だ。
それでも汗だくの通学時の姿や、仔牛と戯れる小さくて可愛いつなぎ姿のあなたは、今でもパパの目の奥に焼き付いている。

突然久留米に戻りお店をはじめると、あなたは大宰府の御祖母ちゃんに預けられた。 酔っ払い学生客は朝まで帰らず、あんな店がしたいこんな店をすると、酔っ払いマスターは仕事をしているつもりになっているだけの傍らで、徹夜明け一睡もしないで、あなたとの時間を持つために実家に向かったのもママだった。
小中高と学校と家庭で小さな胸を痛めた事もあっただろうが、その詳細をパパが知る由もない。(あとから少し聞いた)
そのうちのいくつかはママが盾となってくれたはずだ。

やがて、大学が静岡県清水市で、学部が海洋学部というのも、あなたらしい選択だった。
サーフィン漬けの大学生活で、ホントに真っ黒けで帰省する姿に眼を丸くしていたのもママだった。
一緒に旅行したナイルの川下りでは一家遭難しそうになり、サンディエゴではパパと二人で車で出かけて迷子になって、ホテルに残したママに心配をかけた(というより一人残されたママ自身が心配だった)。

パパの実家は貧乏だったが、(今は自分も貧乏だ)当時は時代がバブルだったせいもあり、辛うじて金銭的にはあまり不自由をかけなかったのがせめてもの誇りと救いだった。

例によってパパの突然の「農業をやる。」の気まぐれ宣言により、あなたは陸の孤島上津江村に行くこととなった。
相変わらず自分しか見ていない拡大志向のパパのために、経営や夫婦の確執に巻き込んで、随分苦労をかけてしまった。
上津江では、ある選挙のとき、「Mちゃんによう似とる女性が選挙に来とる。」との村のうわさ話が傑作だった。
母親に決まってるだろうちゅうーの。
あなたとママはお互いイヤかもしれないが背格好(&時々きつい性格)がよく似ている。
あなたとパパは出たがり屋だったから、ド田舎でもそれなりに認知されていたけど、ママはひたすら仕事と山中のひめ(犬)の散歩だけで表に出る人ではなかったから、認知度が低かったのだ。

又、あなたの田舎での結婚式は、酔っ払い親父軍団の単なる狂乱ド宴会、御返盃の雨嵐となり、ママ方の親戚はあきれ返っていた。

家庭を持ち、家を持ち、そして又新たな仕事にチャレンジし、大変なわりには休日の度に出歩き廻り、ママのLINEにはいいかげんに返事するあなたに、ママは閉口し、パパは微笑ましく思っている。

さて、あなたは自由だ。
誰のためではなくあなた自身のために(子供のためを含み、親父のためは?でよい)これからも前を向いて歩いて行くなと言っても行くだろう。
最後まで味方するのは、友達とママとパパだ。
出来るだけ応援したい。
お誕生日おめでとう。」
(2015年5月8日記)

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