戯作文

戯作とは、通俗小説などの読み物の総称で、戯れに書かれたものをいい、戯作の著者を戯作者という。 そこかしこに書き散らかしたり、細やかにしたためた駄文の置き土産を、ここに印す。

マティーニ

ファーマータナカの迷酒珍酒カクテルストーリー。
(登場する人物物語等は妄想と願望の産物であり、実在の人物等とは一切関係ありません、たぶん)

お酒は基本各人が、好きなように楽しめばよい。
だがかってその昔、ジュースを使うヤワな飲み物はカクテルとは呼んでもらえない時代があった。
だから、一つぐらい紳士然とした、こだわりの一杯があってもいい。
ジンとベルモットの銘柄がどうだの割合がどうだの、ビターズやレモンピールが要るの要らないだの、オリーブをいつ食べるか或いは要らないだの・・・。
行き着く先は、例えばジンとウオッカを使いしかもシェークするジェームスボンドのそれか、そして嘘か真か、かのチャーチルの「ネイキッド・マティーニベルモットを使わないジンのみのマティーニ!?)」か、あなた自身のステータス・ドリンクとしてのパーフェクト・マティーニを持つこと、そしてそれを作るバーテンダーがいることはそう悪いことではない。
だって、それが数百のレシピのある「カクテルの王様」たる所以でもあるのだから。

🍸🍸🍸 ドライ・マティーニ(カクテル) 🍸🍸🍸

お客には2種類ある。「福の神」と「疫病神」だ。
「福の神」のお客さんは何故か来店すると次から次へと客を呼び、反対に「疫病神」のお客さんは来店されたら一巻の終わり、店には閑古鳥が鳴く。
ただお客さんにとっては、前者は店内がてんやわんやで充分な接客サービスが期待できないこともあり、後者はたっぷりともてなしてもらえるという大いなる矛盾もある。

M氏とT子は、曰く有り気な、結構な歳の差カップルだが、店にとっては「福の神」だ。
M氏は言わばいいおじさんといった態、一方T子はちょっと浅黒い肌にスリムなボディーライン、表情に一瞬の陰りはあるが、溌剌とした大人の女性といった感じが魅力だ。
何処でどう巡り合ったものなのか、そしてどう転んでもお似合いのカップルとは言い難い。

もっと落ち着いた大人のBarでゆっくりと二人の時間を過ごせばいいものをと思いつつ、喧騒の中を今日もバーテンダーは駆けずり回っていた。

M氏はマイボトルであるタンカレーのロックを、青い香りと共に黙々と重ねてゆく。
T子は気ままに気泡弾けるジントニックジンバックを飲む。

他人様の心配をしている場合ではないが、「黒の舟唄」という唄に、「男と女の間には深くて暗い川がある。」とある。
ジンはスピリッツの中では酔いが早く、悪酔いさせ、下世話な話だが邪淫にさせるとも言う。
それにしても、その情愛とは裏腹に、大人の会話は途切れがち、空虚な空気と時間が流れていく。
その弾まない会話に頼りない橋を架けるのも、バーテンダーの仕事ではある。
見計らって時折一声かけると、途切れた会話が一瞬紡がれ、忘れかけた笑顔や笑い声がほんの少しだけ戻ってくる。

バーテンダーは職業柄、普通の人より、男と女の至福とどん詰まり、その落差を多少多く観てきた。
だからその行く末が、朧げながら浮かんでくることもある。
この二人は、今までどんな逢瀬を重ね、又重ねてゆくのだろうか。
そしてもうすぐ来るであろう別れを、もう知っているのだろうか。

「手が空いたら、ドライ・マティーニを。」

ミキシンググラスに氷を入れ素早くステアして、器、材料、無論グラスもとことん冷やす。
ジンはM氏のタンカレーを、ドライベルモットはノイリー・プラットを使う。
オレンジビターズは2ダッシュ、レモンピールの油分の霧が、香りと共に一瞬カウンターを舞う。

「いつもお待たせですみません。」

だらだら飲んでいたロックとは違い、冷たさが身上のそれを、彼は微笑み返しながらその都度ほぼ3口で飲み干してくれる。
忙しい中、そういうやりとりが何度か繰り返される。

やがてほんの少し足取りのおぼつかなくなったM氏は、T子に控え目に支えられ、背中に一抹の寂寞感を漂わせながら、おもむろに店を後にする。
このところ、今回が最後の来店でない事を祈るしかない自分がいる。
消火栓を模ったグリーンのボトルは、もう5分の1程しか残っていない。
カウンターにはオリーブを飾っていたカクテルピンが3本、それが今日調製したマティーニの杯数だ。

やがて店に静寂が訪れる。
今日は吾輩も、キンキンに冷えた極上のマイ・ドライ・マティーニが飲みたいと無性に思った。
とあるBarとバーテンダーを心に思い浮べると、階段を足早に降りて行く。

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カルーア・コーヒー・リキュール

我楽多酒整理番外編。(ファーマータナカの迷酒珍酒カクテルストーリー)
(登場する人物物語等は妄想と願望の産物であり、実在の人物等とは一切関係ありません、たぶん)

子供の頃に、コーヒー牛乳というのがあった。
それを飲むと、ちょっと大人の気分になったものである。
それのカクテル版で、子供騙しかと思ったが、ボストンで誕生したこのカクテルは、1950年代に全米で大ヒットし、世界中で愛飲されるようになったという。
甘くて、軽いからって、馬鹿にできない歴史があるのである。

メキシコ産のアラビカ種のコーヒー豆を使い、サトウキビ原料のスピリッツをベースに、バニラなどの芳香成分を加味して製造されている。
ローストされたコーヒー成分のほろ苦さと濃厚な甘味が、ベースとなるスピリッツの個性でより際立たされる。
コーヒー・リキュールとミルクとは、シンプルだが、最高の相性だ。
ショート・カクテル・グラスにカルーアとミルクを混ざらないように二層にする、プース・カフェ・スタイルもお洒落だ。

🍸🍸🍸 カルーア(コーヒー・リキュール)🍸🍸🍸

結婚式でもない、無論葬式でもない。
それなのにカウンターは烏(カラス)の集団を思わせる黒尽くめだ。
そして全員が右へ倣えでカルーア・ミルクを飲む。
モノトーンの洋服にモノトーンのカクテル。
ベストマッチのようだがなんだか奇妙奇天烈だ。
コム・デ・ギャルソンコムサ・デ・モード、Y’s・・・。
デザイナーズ・ブランドとハウスマヌカン達(死語?)。
彼女らは何処へ行ってしまったのか。

アルコール度数は低めで、甘口だけど、カルーア・ミルクは歴としたカクテルだ。
おつまみや料理との相性、TPOもあるだろうに。
ブラックルシアン(ウオッカ1//2・カルーア1/2)をプッシュしたところで、どこ吹く風だ。
やれやれ、帰った後に残された灰皿は、山のようなメンソールの煙草の吸殻が燻ぶっていた。

とまあ批判的には言ってみたところで、刈り上げられたショートの黒髪、近寄りがたい凛とした雰囲気、年下なのに大人の女性の佇まい、モノトーンの冷めた色香、彼女ら女性客が7割は占めていたであろうその一シーンが、幸せでなかったと云えば、それは勿論大嘘になる。

人生には誰にでもラッキーといえることがあるものだ。
(2002.03.21記を加筆修正)

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運動会

あちこちウォーキングしていると、どこぞの高校の校庭に、突然足場が組んであることがある。
きっと運動会のスタンドだろう、もう終わったのか、それともこれからか、古き良き時代を想い出したりする。

朝方、遠くに号砲が聞こえて、ちょっぴり胸が騒いだ。
何故かそそくさとBIKEに跨る自分がいた。
兎に角駄目元で覗いてみようと思い立ったのだ。
胸騒ぎは結果的にドンピシャリ、やはり当地域の名門明善高校の、「第50回大運動会」開始の合図だった。

思い起こせば半世紀近く前、ファーマータナカは県立S高校に辛うじて在籍していたのだが、そこは子供の頃神童と呼ばれたような輩や、お坊っちゃまお嬢様ばかりが集う所で、己は完全なる半端者として、埋没し喘いでいた。
その学び舎は一応進学校でありながら、第3学年時の運動会終了までは、受験勉強そっちのけで運動会の準備と練習に現(うつつ)を抜かし、云うならば質実剛健と文武両道を足して青春で割ったような、まさに絵に書いたような優等生の集団だった。

ところで、久留米市荘島町に「青木繁旧宅」がある。
優等生で明善の出身である彼が初めて敗北感を味わったのは、同い年で同じ久留米市出身の坂本繁二郎の絵だったと言われている。
ここで我等素人が、馬鹿の一つ覚えのように想い出すのは、「海の幸」だ。
その後の彼の実生活は余り恵まれず、放浪の果て弱冠28歳でこの世を去ることになるわけだが、この有名な「海の幸」は、明治期の浪漫主義的絵画の記念碑的作品と言われている。
だが、美術や芸術にとんと疎く、かつ決定的にセンスがないファーマータナカには、「海の幸」に荒々しさや勢いは感じるような気はするものの、芸術的価値を論ずる素地も資格もない。

その当時、誤魔化し誤魔化し中途半端で空疎な高校生活をやり過ごそうとしていたのだが、運動会の対抗4チームのうち我等が属する青ブロック長H氏から、何故かバックを任せたいとの依頼を受けた。
運動会という盛大な行事を更に盛り上げる応援合戦や組体操が表のイベントとすれば、バックとは、そのチームをスタンドの背後から支え、一部始終を力強く見守り見届ける裏の絵物語だ。

そしてその年のド本命の黄色ブロックのバックが何の因果か、この「海の幸」であった。
我が青ブロックもそうであったが、このような完コピ擬きが著作権上問題とならないのかは疑問が残るが、それはさておき、その圧倒的力強さと迫力と芸術性で、下馬評ではダントツの優勝候補であったのだ。

一方安請け合いのファーマータナカは、今考えても「靑から海」へと如何にも凡庸な発想、葛飾北斎富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏」の富士を題材と決定したのだった。
そして出来上がってみると案の定、「銭湯の壁絵」かと揶揄されるような陳腐な出来であった。
チームのメンバーと喧々囂々の議論の末、本番間際に苦し紛れに背景をグラデーションで修正し、本物を愚弄する暴挙に打って出たのであった。
挙句そのバックがまさかの優勝となったのは、たまさか出たとこ勝負の成せる技であったとしか考えられない。

さて、10代真っ盛りの組体操、応援合戦、そしてバックの絵をこうして眺めていると、一気一瞬に50年をタイムスリップしたかのような感覚を覚える。
拗ね損ねた溢れ者だったとはいえ、ほんの一時期だけでも、確かに血踊る青春の感動を味わわせてくれた、学び舎と仲間と時代に、今は素直に感謝を表したい。

(時効につき)蛇足乍ら、打ち上げは百道海岸の海の家で行われ、若気の至りと酔った勢いで、一部が夜中に近所の酒屋のシャッターを叩き廻る等の大失態を晒したが、学校側は余りの飲酒者の多さに処分不可だったようで、結局お咎め無しだったことを付け加えておく。

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オールド・グランダッド

ファーマータナカの迷酒珍酒カクテルストーリー。
(登場する人物物語等は妄想と願望の産物であり、実在の人物等とは一切関係ありません、たぶん)


ウイスキーのスペルには2種類ある。
「Whisky」と「Whiskey」だ。
Japanese Whisky との出会いはいい印象ではなかった。
あの喉を刺すような味、水で割るしかないワンパターンな飲み方。
その点、若かりし頃に出会った Bourbon Whiskey は、アメリカへの漫然とした憧れみたいなものが潜在意識に作用していたのは否定できないが、新鮮だった。


銘柄は御多聞に漏れずアーリータイムズで、今ではボトルのラベルもシックに変わってしまっているが、黄色いラベルのオールドファッションなデザインが印象的だった。
何よりも、独特のコクと香りを持っていた。
それを、最初の頃はバーボン・バック(Buck=スピリッツにレモンジュースとジンジャーエールを加えてつくるのが一般的)でよく飲んだものだ。


一説によると、Bourbon Whiskey は、開拓時代に大変珍重され、カギのついた箱に保管されたといわれる。
カギ=Key でカギつきというわけである。
実際のところは、アイルランドで、「e」をつけ、スコットランド、日本、カナダでは「e」をつけない。
バーボンの故郷アメリカでアイルランド流の表記になるのは、「もともと他のウイスキーと俺っちのウイスキーは違うんだ。」と誇り、差別化のための「e」の表記だったわけで、そのアイルランドからの移住者が、バーボンウイスキーの生産に従事していたことを物語っているのだ。
(ただ実際には、アーリータイムズやメーカーズマークには「e」が入っていないところが又ややこしいのだが…。)


その後、松田優作が愛飲したたというオールドクロウをはじめとして、ワイルドターキーはもちろん、I・W・ハーパー、ヘンリーマッケンナ、ジョージディッケル(テネシーウイスキー)…そしてコーンウイスキー、ライウイスキーへとウイスキーはもちろんだが、悪魔の水の手招きに、果てしなきドツボの世界への彷徨、その序章が開かれたのであった。


その中で、拘りの伝統製法により、昔ながらの甘い芳香、ライ麦の風味がしっかりと感じられるのがこのオールドグランダッド、スムーズな飲み口が身上の6年ものだ。


🍷🍷🍷 オールドグランダッド(バーボン・ウイスキー)🍷🍷🍷


一方に名うてのプレイボーイ。
一方に「私、この店が大好き。だってマスターのファン(※)だもの。」というJ嬢。
(※ Love や Like でないところがミソ、その上ママあってのという大前提が決定的、ついでに言うと女性からお兄さんとかお父さんみたいな存在と言われるのも好きではありません)
出会わなければいいのになと、遠巻きに眺めていたのだが、やはり運命の糸は紡がれる。


J嬢は、化粧品会社の美容部員。
聡明で存在感があり、仕事柄その完成された化粧は、美しさを際立たせる。
昔風に言えばそうキャリア・ウーマンか、でたぶん成績もトップクラス、若い部下からの人望も厚く、彼女らを店に引っ張ってきてくれるものだから、カウンターは美女軍団で華やぎ、ファーマータナカは有頂天であった。
全てが順風満帆に見えた。


ポピュラーなI・W・ハーパ―が好きだった彼女にオールドグランダッドを薦め、やがて何時しか彼女はこの酒のファンになった。


その彼女が そのオールドグランダッドのロックを立て続けに何杯も流し込む。
人に弱みを見せない彼女が、酔っ払い、瞳の奥が微かに涙で潤む。


ファーマータナカは基本的には、男性女性にかかわらず、自らは客を店外に飲みに誘わないのがポリシーというか、御法度となっている。
ただし、最高経営責任者のママの決裁があれば、稀に店を離れることもある。
その時のCEOの目配せは、果たして許可だったのか否決だったのか、今となっては闇の中だ。


具体的に相談を持ち掛けられる訳でもなく、場末のスナックで、唐突に「東京」をデュエットで歌おうという。
(実のところカラオケは苦手な上、デュエット等歌う曲目を強要されるのはもっと苦手だ。)


♬  君はいつでもやさしく微笑む だけど心は空しくなるばかり
  いつか二人で暮らすことを夢見て 今は離れて生きて行こう ♬


遠距離恋愛のこの歌詞に、東京にあこがれた頃を、或いは純粋だった初恋を想い出しているのか、それとも今の別れの自分を投影しているのか・・・。
梯子酒は屋台での何杯ものコップ酒、だが冒頭にも記したように期待される結末(?)は当然無い。


J嬢はその別れの後やがて結婚、そしてほどなく離婚との噂を聞いた。


Bar という場は、そのために店をやったわけではないが、多くの出逢いと別離があり、悲喜交々のスートーリーがある。
そして遅かれ早かれやがて男は皆オールドなグランダッドになるし、ファーマータナカのその日もそう遠くない。


店に集ってくれた人達の、それぞれの非日常のドラマのワンシーン、それから延々と続くそれぞれの日常に思いを巡らし、今はそれらをひっそりと抱きしめ、優しい眼で見続けていきたい。
(2002.05.19記を加筆修正)

 

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